坊守のつぶやき

2016.09.06  無量のいのちと成る

先週、長い間お寺のお世話をいただいた方がお浄土へお帰りになりました。

いつも「ありがとうございます」とお礼を言うと、「お寺のことぉするんは

あたりまえのことじゃけ?、お礼やなんか言わんでもええよ。」と

おっしゃってくださっていました。

また「わしゃ、住職みとうにええ人間じゃないけぇ、なんまんだぶが言えんのんよ。

似合わんよ。」と話してくださったこともありました。

その思いだけで・・・阿弥陀さまはその心をこそ、救いの目当てとなさっているの

ですから・・・と心の中で思いました。

「念仏申さんと思いたつ心のおこる時、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめ

たもうなり(念仏申そうと思いがおきるとき、そのただ今、阿弥陀仏の必ず救う、

決して捨てることはないという、お心、光明におさめ取られるのです)」と

歎異抄にあります。

亡くなられた命も、こうして多くをお伝えくださいます。それを無量寿仏、

無量光仏・・・いのちと、光に限りのない仏と成られたというのだと思います。

そして私も、その仏さまに成らせていただきます。

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